素顔Vol5

知られざる驚きの経歴や人並み外れた経験をしてきたホストをクローズアップする人気企画の「素顔」。ホストとして振る舞う普段の顔ではなく、イチ個人としてありのままの姿を見せてくれた

Yggdrasill -Artemis-
星月 雫
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何度壁にぶつかっても乗り越え続ける

僕は群馬出身で学生時代ずっと陸上をやっていたので、基本的に坊主でジャージ姿という現在とは相反する見た目でした(笑)。

中学は3年間ずっとバスケ部だったんですが、選手として駆り出された中学の駅伝で区間新記録を出し、たまたま見に来ていた陸上の名門校の監督からスカウトされて高校から陸上を始めることに。高校から陸上デビューした僕が通用するか不安でしたが、1年生の頃から全ての公式大会に出場できました。

2年生の頃は陸上の県大会で3000メートル障害という、ハードルと水濠を飛び越えながら全長3キロのトラックを走る種目で県大会優勝したんです。

周りからも「この調子ならインターハイ行けるよ」と言われていたのですが、後に出場した北関東大会で痛恨のミスを…。北関東大会のときに監督が「このまま順当にいけばインターハイだから安全な後ろの方から走れ」と僕に指示を出したんです。

しかし僕はなぜか「一番後ろから走れ」と捉えてしまい、レースが始まった途端に超遅く走って、最後尾から1人ずつ抜いていったんです。すぐに監督の「何やってんだー!」という怒号が聞こえたのですが、僕はどこ吹く風状態で「なんであんなに怒っているんだろう」と思いながら走っていました。

それで先頭との差はどんどん開いてしまい、結局抜けきれずに負けてインターハイ出場権を逃してしまったんですよ。

3年生に上がった頃、自分の高校内では僕が一番早かったので、陸上の大会は僕が全ての種目に出場することに。

1500メートルと5000メートルの予選はそれぞれ4位で上に進みましたが、本命の3000メートル障害の決勝を走る頃には足の裏に血豆ができて、さらにそこからバイ菌が入って腫れてしまったんです。痛みを堪えて決勝に臨んだ結果、同じ高校の後輩に約0.1秒差で負けてしまいました。それで嫌気がさし、半ば自暴自棄でしばらく学校も休んでました。

ちょうどその頃、父の知り合いで県議会議員をされていた方が、若くして末期ガンになってしまったんです。その方は僕と歳が近いこともあり、お兄ちゃん的な親しい存在だったのでショックでした。

その方はしばらくして亡くなってしまったのですが、僕と最後にした会話が「箱根駅伝走れよ」で、その約束を果たそうと思い約半年ぶりに練習を再開したんです。しかしブランクが大きく実力は素人並に落ちていました。

練習に出た後日、以前から声をかけてくれていた地元の大学の監督のもとに行き、付きっきりで練習を見てもらったんです。

全然走れなくなった僕を見ても、その監督は「それでも良いからウチで取るよ」と言ってくれました。それで入寮したのですが、大学時代の僕は大会の前日に夜遊びで門限を大幅に破ったりと素行が悪かったので、ほかの選手たちは僕のことを快くは思ってなかったでしょうね(笑)。

練習の甲斐もあって2年生の時に箱根駅伝の選抜に選ばれたのですが、本番前に体調を崩し、その時は区間18位と悔しい結果でした。

3年生の頃は夏の予選会でずっと先頭を走れるほど調子が良く、ウチの大学が出場権を勝ち取ったんです。しかし合宿と調整練習期間中に調子が悪くなってしまい、本番は区間15位でした。4年生の頃は夏の大会で10000メートルの大会だけ出場することに。

大会前は実業団の選手と遜色しないほどのタイムで走れていたのですが、本番で実力を発揮できず、レース後半にスタミナ切れして散々な結果に終わりました。さらに合宿前に怪我をしたこともあり、遂に陸上から引退したんです。

大学卒業後はアニメイトに就職し、最初の2ヶ月は研修からスタートで、配属先が決まる前に会社の偉い方々に「一番デカいお店の店長をしたい」と伝えました。そう大きな口を叩く人は僕以外いなかったし、誰が見ても僕が1番やる気あったので、都内の大きいお店に配属されて店長になるためのノウハウを学びながら働けると期待していました。

しかし蓋を開けてみたら配属先はなぜか静岡で、社員も自分以外に1人しかいなかったんです。それでも「やるしかない」と頑張っていたらノウハウは学べましたし、副店長的なポジションにも就けました。

しかしその頃、静岡で知り合った方の影響で髪を染めたりメイクすることに興味を感じていて、同時にアニメイトに飽きていたんです(笑)。

しばらくしてその方が東京へ引っ越すことになったのですが、その方が僕に「東京でホストすれば?」と言ったんです。それで有給を使って会社を2ヶ月休み、東京に出て試しにホストをしてみたのですが、お店のオーナーと揉めてすぐに辞めてしまいました。そしてアニメイトにも戻る気がなくなっていたので、会社には「やっぱり辞めます」と言って退職したんです。

急に無職となったので仲の良かったラーメン屋の店長に話し込んで、そこから1年間ほどラーメン屋の昼間店長みたいな感じで働いていました。

ラーメン屋で働きながら投資を勉強していたら、何をするにも元手が必要だと感じて、逆に大きい元手があれば利回りが低くても十分に生活できると思ったんです。それで本気でやればホストってもっと稼げるんじゃないかと思い、リサーチを始めたときに見つけたのが社美緒会長でした。会長のYouTubeの動画を見たときに共感できる部分が多く、この方の近くで働きたいと考え、体入してすぐにアルテミスで働き始めたんです。

実際に会長の近くで働いてみてホストとして本質的に必要なことを知れましたし、楽しく働けているのでホストは自分にとって天職だと思っています。

すぐ調子に乗ってしまうのはホストになった今も変わらずで、失敗したことも度々ありましたけどね(笑)。これまで波乱万丈な人生でしたが、指導者には恵まれていたと思います。ゆくゆくは自分のお店を持ちたいので、いまの環境で毎日しっかり学んで将来の自分に還元したいです。